ブログ / 日々のこと
Posted on 2013-10-07
美輪明宏さんから学んだ、自分を貫く美しさ
美輪さんの美しさは、
自分の美意識や信念を、
誰が何と言おうと貫く強さにあるのではないか。
先日、「美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~」
を東京都写真美術館で鑑賞し、そう感じました。
印象深かったインタビューシーンは2つ。
1つは
美輪さんが三島由紀夫さんと初めて会ったときのこと。
バーに勤めていた美輪さんを、三島さんが指名。
だが、美輪さんは6回呼ばれても行かない。
7回目にしてやっとテーブルに行き、
「座れ」と言われて席についた。
「何か飲むか?」
「芸者じゃないから結構です」
「かわいくない奴だな」
「かわいくなくていいんです。私は綺麗ですから」
「何てやつだ!」
三島さんはボンッとテーブルを叩く。
「これでよろしいですか」
と美輪さんは席を立った。
でも逆に、
美輪さんの態度を三島さんは気に入り
店に来るようになったそう。
もう1つは、横尾忠則さんとの話。
横尾さんが、美輪さんの劇の美術監督をし、
舞台装置を作った。
しかし
何かの間違えで、それが舞台に入らない。
小さく切り分けて入れてくれないか?という要望に
横尾さんは、切られるくらいなら使わないでくれと返事。
仕方なく美輪さんが自前の家具などで舞台を整え、乗り切ったという。
後に、美輪さんは
妥協しなかった横尾さんを評価したとか。
* * * * *
どちらのエピソードにも
「安易に迎合せず、自分を貫く姿勢」
「自分の美意識を譲らない生き方」
を強く感じました。
その強さの、日常的な小さな積み重ねが
美しさの結晶となって表現されているんだろうなと。
観る前は
「美輪さんなりの表現方法ってどういうもの? それが分かればいいな」と
ぼんやり思っていたが、なんてことはない。
日常の仕事1つひとつに
自分の美意識を、信念を貫き通す。
そういうことの集積が、その人らしい魅力的なスタイルをつくりあげていく。
ローマは1日にしてならず・・・ということなのでしょうね。
と同時に、
丸くおさめよう、相手に気にいられようと【いい人】を演じるクセがある私にとって、
「それでいいのかい?」と
ビシッと喝を入れられた映画でもありました。
【参考情報】
「美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~」
http://www.uplink.co.jp/miwa/
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コメント5件
Tamaki | 2013.10.07 13:58
コメント その2
先月だったか、NHKの番組で、
やはり美輪さんを特集した”スペシャル番組”があって
ゲストは、親友の黒柳徹子さん。
この二人が並んで出てきた時には、
さすがにこの世のものとは思えない、
”絵的”にぶっ飛んだ!凄かった!
(きっと、他の星の人も驚くと思う)
そして、私的に注目したのは
彼らの”自己”と”個性”の出来上がり方(プロセスね)。
こうなりたい、ああなりたいと考えて
あるいは、夢を持って、
美しいものにたくさん触れたから
だから、自分を貫く美しさを持てるようになったとは
到底思えませんでした。
おそらく、私たちの”倍速”の速さとエネルギーで
駆け抜けざるを終えなかった、から・・・
戦争と敗戦と
自己実現などということ以前に
先ずは”Yes”といって受け入れるより他にない現実が
大きく横たわっていたということ。
特に、敗戦は、個人だけでなく
国そのものがすべてを失った状態。
史上初という2発の原爆を投下された国の
その行き先の見えない状況は半端でなく、
だれもが
真っ暗闇の中で、
選択なんかできない時代の中でさまよい、
それだからこそ逆に、
苦しくなるほどの究極の選択を迫られたのではないか?と
だから、たくさんのものを持てない
身一つでいないとならない
身一つとは、自分自身の”中心”しか持てないということ
自己啓発本なんて、ない。
あっても読んでる余裕なんかない。
だから、自然に(ここが神様の愛)
自分のコアが際立った。
何がほしいか際立った。
そして、それを素直にキャッチして、
それを軸に生きていくことを決意した。
と、そういうことではなかったのか?と思いました。
私が、美輪さんの美意識を一番感じる事例として
あげたいのは、
ホモセクシュアルの捕らえ方(表現の仕方)
”おねえ”だとか”女装家”とかいう言葉を用いて
ホモであることを堂々とひけらかす現代の風潮
それ自体が、
あまりにも軽すぎると美輪さんは批判している。
単なる、みんなで行う開き直りだと、思ってもいる。
いろんな立場の人が、
平等に市民権を得ることには賛成していても、
どんな生き方でも、堂々とさえしていりゃあ
真の意味で認められると勘違いしていることもお嫌いだし、
堂々としていれば、何だって美しいのではないとお考えです。
陰と陽、美と醜の基準をしっかり持って
先ずは、生き様を、見手もらえれば、触れてもらえれば
わかるでしょ?!と来る。
男も女もホモもなく
自分の居場所が有るでしょ?と言う。
このスタンスに、私は美輪さんの美意識を感じましたねぇ。
これって、本当に自分自身と社会と本気で向き合って
ある種、戦いに近いもの経験した結果ではないかと
思うんです。
”秘すれば花・・・”
やっぱ、今は
平和ボケしてるのか、
あまりに、物質的にも恵まれすぎちゃっているのか
”爆発”が足りないですよね(反省を込めて)
自己啓発本に
夢の実現本なんて読んでる自分が
時々情けなくなるとき有りますよ。
だって、三島由紀夫にしても横尾忠則にしても
自分で道を探し掴み取った人
同年代の普通の人々も
皆、そうだったと思うと、
方法論ばっかあさってる自分にうんざりぃー
ちなみに、
私の、血が騒ぎ肉が踊った作家は、三島だけ。
”コラージュ”という言葉をはじめて知ったのは
横尾忠則の作品。
(45年ぐらい前の彼の家は、偶然にも私が住んでた小さなマンションの向かいでした)
結局、岡本太郎さんじゃないけど、
”爆発!”が不足してる。
彼らは、爆発しなくてはならないくらい
追い詰められた経験があるということではないですかぁ?
自分だけが、自分を最大に受け入れられる存在であるという
究極の魂との接点を体験したのだと思います。
”自分を守る”ってことや”大切にする”ってことが
年金や保険や学歴や家柄やお金や職業に依るのではなく
もっと、大きいものとの対話から生まれてくる
大いなる”気づき”
過去の事例や経験や
世の中の価値観や
そういう、自分の外側にあるものとの
相対的な関係から導き出される自分ではなく
路傍の石 なんだなぁ・・・・
長文、ごめんなさい
小関 珠緒 | 2013.10.09 21:03
Tamakiさん 人の生き方って、いろいろな捉え方があると思います。
どう受け取って、どう生かすかは自分次第なんでしょうね、きっと。
そうそう。「爆発が不足している」と思われるなら、
まず自分から行動を始めることですよ。
どんなに小さいと感じたとしても、まず一歩を出すこと。
これが大事だと私は思います。
そうすると、不思議ですが自分も周囲も変わってきますよ。
武内みどり | 2013.10.09 21:09
上の方の横レスになりますが、戦争の影響というのは、確かにあるのかもしれないと思いました。
そう思うと、こないだはフランクルについて書いてたけど、彼の在りようもアウシュビッツの体験が不可分だし、いかに戦争が個人に与える影響が大きいか、改めて考えさせられます。(その上に築かれた、今の平和な世の中にはただただ感謝です。)
美輪さんのインタビュー、シェアしてくれてありがと~!
私の前の席の先輩、よく「空気読め!」とか「あの人は空気読まない」てな言い方をよくするんだけど、私は内心、ここで空気読んでたら、(人として)ちっちゃくなるよな~って思ってる(^^;
うちの職場、いろんな価値観の人がいるから、全方向にむけていい顔してたら、ちっさくならざるを得ない;
もっとも、口には出さないけどね…空気読んで。とほ。
てな自分にもカツ!って思いました(^^;
小関 珠緒 | 2013.10.09 21:41
みどりさん
確かに戦争はとても大きな要素ですよね。
生きるか死ぬかを迫られたとき、
人の本性や本質がむき出しになってしまうんだろうなと思います。
人間の素晴らしい面も醜い面も見てきて、なお、
人を励まし続け、愛し続けた2人(美輪さんとフランクル氏)であることが
心を打ちます。
「空気の読める人」「空気の読めない人」「読めるけど、あえて読まない人」の
3種類がいるって、耀子さんの文章で読んだ気がするんだけど(違ったかな)。
その3番目って、フレキシブルに対応できて、ゆったりしてていいなーって思います。
Tamaki | 2013.10.07 9:05
コメント その1
朝起きて、色々やった後、先生のブログみて
どひゃー!!
これは、長いコメントになっちゃうわぁ~
だから、続きはお洗濯の後にします!